ある島
――厖大な記録は一通の
封書には収まりきらなかった。
四方に目打の
白波がたっている
規則正しいさざなみに囲まれた
数字つきの風景
ゆがんた矩形に区切られた
半海水のプールに
忘れられた赤帽が浮かんでいる
ユリカモメとまれ
一羽、一羽発ち二羽目そして三羽四羽
順繰りに六羽が翔舞する
飛べない犬が吠える
むかし亡びたこの格闘場は
スタンドの半分までが水面下に沈み
とぎすまされたときを告げた時計が
うつぶせで水底に眠っているはずだ
幻の音
機関音
猛者や曲者は
6とおりの装束で
何度も何度も生きかえってくる
水面上の興亡
握る(発)
追う並ぶ(黒)
回るとびつく(標甲)
き、みどり(続続)
伸びる追う(直線)
回る舞う流れる(標乙)
差し、殺す(赤)
刺せ、殺せない(波)あおっ
もう一度伸びかえして(白)
生きのこれるか
読めない、
読めやしない。
文字ではないから。
ざまぁみろ。
犬神は
崩れかけた階段を
足を引きずりながらのぼってゆく
毛並に触れるぺんぺん草
ざわつく最上段
古びた革製の大きな旅行鞄が
一列でベンチにたてかけられている
もはやこの島に生者の観衆はなく
誰ひとり鞄を開けはしないが
中には
充血した眼が
ぎっしりと詰まっている
しかも腐敗などしておらず
熱く不敗を希う眼球
きらきらと
みずみずしい
全眼
正常
夜気の乱れ
体がふるくなってほころびる
表ではなく内の中の底で
つくろえないから放っておく
やがて目をとじると
先のことは考えなくて済むよう
静脈を流れるどろどろの粘っこい血のような
赤黒い夢が
脳内にしたたってくる
(それって、他人の血ではないのかえ)
夜になると
どこから涌いてくるのか
受話器に黒ごま大のあぶらむしが
びっしりこびりついているので
家の電話が使えない
(もしも、もし、もしもしもっしっし)
こっそり扉を開けて外に出る
裏道の電柱の下でハンドバッグの中身を
ぶちまけた紺のワンピースの女が
しきりに長い髪をかきあげている
指を櫛がわりにして額からうしろへ
左右左右さわさわとさわさわと
(これでもか、これでもか)と
髪をかきあげている
表情は窺えないが
にくしみに赤く見開かれた眼球が
顔に五、六個付いている雰囲気だ
中空では電線をつたわって
いくつもの
いろとりどりのひとの気が
いったりきたりしているさなか
夜泣きする赤ん坊は生涯
泣きやまずに
成長してゆくだろう
表通りに出ると
ライトバンの後ろから
ダンボール箱がおろされている
箱の中には今年に入って自死した人々の
焼き終えた骨がずっしり詰まっていて
コンビニの奥へ運び込まれる
(なくなれば継ぎ足されるいのち)
特別に加工された白い飲みものは
明朝店頭に並び
みんな自分の健康を気づかって
これらを買いもとめ
少しもまずいと思わない
カルシウム愛
聖しこの白
黒色の夜はいちだんとふけゆき
緊迫するくさむらの
へびとかえるとなめくじ
野鳥のうめき声を合図に
駄菓子屋で売られていたあんずジュース色の雨がふる
地面のへこみに雨水はたまり
血尿の水たまり
そして傘もなく萎れた気持ちを濡らし
薄ぐらい歩道に立ちつくして
一睡もできない
ゆくえ知れずの「わたくし」
こと、岩佐は、
誰ですか。
わかんないですっ。
たわしは、
いや、わたしは、
いったい、どこですか。何ですか。
もう、間に合いませんか。
てん
夜になって人通りが少なくなると
荷車を牽いた小さいひとがやってくる
「ひと」といっては正確ではない
身体はひとの態なれど
頭部は黒猫に似ている
荷物はさよりぎっしり一函が
夜目にも銀白色にかがやくこともあれば
満開の海棠をねかせて積んでくることもある
学校の塀際に車を停めて
しばらくはしゃがんで煙草をのみ
やがて荷物に大きな黒幕をかぶせて
自分もその中に隠れて眠るらしい
ここ数日雨が続き
道路は濡れっぱなしだった
やってきた黒猫の車も黒布をかぶり
中身が何かはわからないことが多くなった
夜も更けると雨がどこかに溜って
その水が一滴一滴零れては
ベランダの金属の手すりに当っている
てん、てん、てん、てん・と
十二秒程に一回音をたてるので
ねむろう、てん、ねむらなければ、てん、
ねないと、てん、ねないとあすしんどい、てん、
やだやだ眠れない、てん・
湿気た気分で床をぬけて
夜中のベランダに出ると
ほの白い羽虫のような雨が舞っていて
ちょうど猫の荷車が出発するところだった
みえないりんかく、きこえないおと、
さわれないかたち、においのない、
あじさえわからないものどもを
大切に載せてあの猫の車は
薄暗い道をうごきはじめる
どこへ、てん、
ゆっくり遠のいてゆく車のうしろを
一昨年死んだ子が黒い合羽姿で押している
どこから、てん、どこへ、てん・
ベランダから台所へいって
水道のまずい水を一口啜った
そろそろ
極楽はきわめて楽ちんなところなのか
ならばそろそろ。
見上げた誰そ彼の雲形をうらなう●
足もとの猫を伸ばして背すじを撫でつけ
次の角で黒い尨犬とすれちがえば○
闇夜のみちびき手としての
螢を待ちわびる小暑のころ
なかまもつれあいもいらない
独りで坂をおりゆく
ゆきかう他者もなく明日の憂いも知らず
そろそろその戸を開ければ
鋭利な風に送られた
白い三角の紙がヒタと額に貼りつく
――昏倒の末、
雨、夜、桜で。
季節を過ぎ
去ってゆく
夜桜は雨に打たれ
雨は降るはなびらを追いこし
はなびらは雨粒の一撃を受けて傷み
散る雨は降るはなびらとまじり
さくさくと傘へふりかかる
去ってゆく
ひとかげは自分から放たれたゆらゆらで
縒れたり小走りになったり浮かんだりしながら
桜樹の体温よりはあたたかく彼方へ
遠のいてゆく
そのあとをひたひた追うものの
あしもとに
鉢植えの三色すみれ
濡れすぎた雑誌
あたりまえの小石
雨水のはねあがり
死なないやつ
桜色の肉でできた穴ぐらに
さまざまなものを押しこめ
(たとえば。たとえばぁ、
木のにんぎょう焼たらこ水菓子など、
つきなみな品ね)
ようやくやすらいで眠ると見られる
やすでの夢に似ている
(足がたくさんあって電車虫とも呼ばれる
あのやすでではなく)
やすっぽい夢に等しい
この世の夜路にて
こころ細くなるほどひと気のない路上の
前で動くかげを母と思い込み
どこまでもついてゆく(方寸)
傘をたたまぬ暗がりの追慕
その日の夕のことだった
鯵のひらきの入った紙袋を下げて
暮れ方のわたくしが向うからやって来た
桜は今夜の雨でだめになります。
その滅びる花々を浴びながら、
あなたは誰かに似た自分を追って、
宵からさまようことになるでしょう。
そしてもう帰ってこないにちがいありません。
――と予言してやろうか
やつはきょとんとして立ち去り
晩飯の鯵を焼く孤独を味わう
じじじ、じじじっと脂が垂れ
火の手があがる網周辺
安アパートの硝子窓からも桜がのぞく
雨の最初の一滴を聴く、ぽつ
ぽつぽつ
それからふりしきり
ふりしきるはなびらと雨の中を
見栄えのしないゆうれいとなって
流れてゆく(模様)
前を走るたましい
後ろから追うたましい
びしょぬれのみちゆきを経て
万緑のあしたを想え