銅版画 -玄工房- 岩佐なをによる詩と版画の世界

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蔵書票雑感 ―― 創る側から
岩佐 なを

 蔵書票と出遇い第一作を送り出してから十二支がふた巡りした。一年間に五十点ほど創作した年もあった。今はとてもそれほどの数を産んでいないが、十二支の動物たちはほとんど描いたように思う。よく「蔵書票以外の版画は創らないのですか」と訊かれるが、蔵書票だけを拵えている蔵書票専門版画家はまず存在しない、私も蔵書票の他にテーマを設定して銅版画を作成している。
  蔵書票との出遇いは二回目の個展を開いた折。当時、文化出版局の編集者だった山口博男さんが会場の銅版画小品を見て「蔵書票を作ってみませんか」と誘って下さったのだが、その時私は蔵書票について全く何も知らなかった。その後「協会」があることを知り、今村秀太郎さん、今井田勲さん、坂本一敏さん、長谷川勝三郎さん、内田市五郎先生‥‥といった多くの大先輩たちに導かれて、蔵書票の魅力を感じつつ創作を続けることができたことは大変に幸運だった。
  蔵書票は、書籍の表紙うら(見返し部分)に貼ってその書籍の所蔵者を明らかにするための小紙片である。この紙片には版画や印刷でさまざまな図柄や文様、文字などが描きこまれていて、図の中に「EXLIBRIS」の文字と所有者の氏名が入る。「エクスリブリス」は「誰それの蔵書から」という意味のラテン語といわれる(つぶさに調査確認したことはないが)。日本では「蔵書票」「蔵票」「書票」などと呼ばれてきた。英語では、bookplateである。役割は、日本や中国で長い間用いられてきた蔵書印に等しい。日本書票協会初代会長、志茂太郎氏の発案で「書票」に呼び方が落ち着いたようだが、図書に関わるもので「ショヒョウ」と言えば、どうも「書評」が先に頭に浮かんでまぎらわしい。御存知ない方に説明するときにも「蔵書に貼付する票のことです」と言えば理解しやすく思うので、私は「蔵書票」を用いている。
  エクスリブリスの出現は、15世紀半ば、グーテンベルクが活版印刷の技術を発明した後頃までに遡るといわれている。新しい印刷技術により同じ書物が複数出版されるに至って、本の所有者をより明らかにする必要性が生じたのである。以後ヨーロッパでエクスリブリスは育った。これに対して日本では、図書館も愛書家も蔵書印を用いてきた。日本で初めて蔵書票が紹介されたのは、1900(明治33)年、与謝野鉄幹主宰、詩歌中心の総合文芸雑誌「明星」(第7号、明治33年10月12日発行)の誌上である。ここにはプラハ生まれの画家エミール・オルリック(1870〜1932)作のエクスリブリスが挿画として四点掲載され、一点の脇に作家と蔵書票についての説明文が短いながらも的確に記述されている。この文の最後に「此種の好事は年を追うて我国にも流行するとならんか」とあるとおり、現在、エクスリブリスを愛し研究し蒐集する人々の団体である日本書票協会は700人を越える会員を擁し、「日本書票協会通信」を発行、数年に一度エクスリブリスの交換会や展覧会を主とした全国大会が催される盛況ぶりに至っている。1992年夏には、世界書票大会が札幌で開催され、各国からの愛好家、作家が一堂に会した。また、日本書票協会編著で平凡社新書から『書物愛 蔵書票の世界』が出版されたことも記憶に新らしい。これは蔵書票の案内書として絶好の一冊といえるだろう。
  私も日本書票協会の会員として、微量だが蔵書票コレクションがある、ほとんどが到来物だが。協会は創る側の団体ではないが、蔵書票を手掛ける多くの版画家たちも会員として含まれている。全国大会の折などに蔵書票作制を依頼されることもある。また、注文が無くとも自分の描きたい図柄で銅版画蔵書票を創り、友人や知人の名を刻んでプレゼントとすることも少なくない。友人やよく知った書票主のエクスリブリスは創りやすい。これは書票主と創る側の私との親密度が高いからで、テーマや絵の雰囲気、文字の入れ方等の好みをお互いよく理解しあっているが故であろう。
  蔵書票が版画で創られる場合、版種は様々で、日本はやはり木版画が一番多いだろう。その他、銅版画、石版画、リノカット、シルクスクリーン、孔版画、型染めなどがある。木版画と一言でいっても、板目木版と木口木版があるし、銅版画にしても、エッチング、ドライポイント、アクアチント、メゾチント、ビュラン等多数の技法がある。私は、腐食液を使用するエッチングとアクアチント、さらに直接銅板面を傷つけるドライポイントを並用して蔵書票を創作している。たまに凸版のリノカットでかわいらしく親しみやすい図柄を彫って作品にする場合もあるが、これは御愛嬌である。長年少なくとも年に銅版で20点は創ろうと努力してきた。1982‐2002年までは、1月28日から一週間、銀座七丁目の竹川画廊で一年間に制作した新作蔵書票を発表し、この個展で一年の仕事の区切りをつけた。
  銅版画で私が蔵書票を拵える時の大きさは、一番大きなもので葉書大、次が8×5センチ、そしてほとんどが5×5センチあるいは6×4センチの銅板を使用している。とにかく大きいもの(つまり私の場合は葉書大)で制作して欲しい、という注文もときどきある。ただ面積が広いだけで質も価値も上がる訳ではないが、人情として大きい画面が欲しい気持ちはわかる。しかし葉書の大きさでは明らかに実用性は欠け、蔵書票主の名前もしくはイニシャルとEXLIBRISという「文字つきの銅版画」の感が拭えない気がする。葉書大の蔵書票を貼るとすれば本は大事典とかアトラス、大判の画集などに限られてしまうわけだから、注文者は実用についてはあまり考慮していないにちがいない。創る側からすると、蔵書票としてタテ×ヨコが10センチを越えれば大作だから、時間を費やして盛りだくさんに描き込み、細かく賑やかな図柄にするおもしろ味はあるのだが、「果たしてこれは蔵書票として認められるのだろうか」という疑問がつきまとう。さらに、この大きさになると版画用紙もファブリアーノやアルシュの並口といった厚手の用紙を使わないと刷り上がりの効果が弱い。紙の厚みのためにますます実用からはかけ離れてゆく。斎藤昌三の名著『蔵書票の話』(昭和4年、文芸市場社刊)の序に、小島烏水が、蔵書票が本に貼付されその本の所有者を明らかにする本来の目的を逸脱して、小版画コレクションの対象のみの存在となりつつあることを揶揄して次のような風刺詩を引用している。――おいらの宅は蔵票だらけ/壁に掛けたり/家(ママ)根裏廊下に積み上げる/多けりゃ見得に構わず/そこら一面貼りつける/貼って無いのは本ばかり。
  ここまで言う必要はないが、現在版画で創られた蔵書票は、すべては蔵書に貼られていないのが実情ではないか。例えば、自分のエクスリブリスを作家に五十葉拵えてもらった場合、三十葉程を自分の大切にしている図書に貼付し、残りは交換会のために保存しているように思う。これはコレクターとして当然の所為で責められるべき事柄ではない。ただ、私は一般に流通している大きさの本に貼り難い大型のエクスリブリスを作るなら、蔵書票でない作品に仕上げたいと考えているだけである。
  最近少し気になることに蔵書票と小版画の混同がある。蔵書票にはあくまで書票主の名前やイニシャル、蔵書票であるための言葉(EXLIBRIS、○○蔵、○○の本というような)が刻まれている。そうでないものは小版画で蔵書票とはいわない。このあたりは明確にしておきたいと思う。
  蔵書票の図柄(テーマ)は多様である。自分は午年であるから馬の絵を入れて欲しい、とか、登山が趣味なので高山植物を描いてもらいたい・・・・と云った按配である。イギリスのエクスリブリスには紋章の入ったものがあるが、家紋を入れてくれと頼まれたことは今のところない。裸婦も好まれるテーマのひとつで、これまでかなり多く創作してきた図柄だ。単に裸婦のみでなくエロチックな雰囲気を醸した図柄も人気が高い。一言でエロチックといっても、ほのぼのとした構図からきわどい姿態まで程度は異なる。私は、注文を受ける折に、H(ハード)とS(ソフト)に分けて選択してもらっていた(コンタクトレンズの話ではありません)。しかし、この辺りも難しく、Sで創ったつもりが「ちょっと度が過ぎた」といわれる場合もあるし、Hでありながら「手加減しすぎましたね」とがっかりされることもある。こんなとき『図説「書票の世界」:デューラーから武井武雄まで』(1985年、つくし館刊)で中井昇氏が指摘しているように、「蔵書票は依頼者と制作者の親密感の中から生れる作品が最も望ましい姿である」という真実を身に染みて感じる。作者である私は、蔵書票主の要望を詳細に聴くべきで、できること、できないことをはっきりさせた上で創作にとりかかれば、お互い納得のゆくエクスリブリスが完成する可能性が高くなるにちがいない。
  最後に、銅版画の場合、刷りの工程が存外手間と時間を費やすことを付記しておきたい。まず銅版画用プレスが必要である。凹版へのインクの詰め方と寒冷紗や化繊布による拭き取りは微妙な加減の差異によって刷り上がりが変化してしまう。一枚刷るために微細な神経を要することは版種を問わず同じだが、「刷る作業」の労力と技術と時間は特筆に値する問題である。私も二名の刷り係と仕事に臨むが、インクの種類と状態、紙質、気温湿度、印刷機の圧力等々と相談しながら適切に刷っていかねばならない。優れた刷りの仕事をする版画工房では小版画といえども刷り賃が結構かかるものだ。作画や製版の作業と同様に刷りは複雑で、手間を要する事実を、多くの蔵書票愛好家諸氏に理解していただけると有難い。

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